月別アーカイブ: 7月 2010

社会経済現象に確答なし(第389回)

渡辺喜美氏(みんなの党・代表)が、あるインタビューの中で面白いことを言っていた。(鳥巣清典著『絶対に受けたい授業 「国家財政破綻」』青志社)
— 日本がやるべきことは何ですか?
「まず、マクロ政策です。財政・金融一体政策。マクロ政策というのは、財政政策、金融政策、為替政策に分かれます。1930年代に高橋是清さんが大蔵大臣としてとった政策は、財政は拡張、金融は緩和、為替は円安。この3本の矢で、日本はみごとにどの国よりもいち早くデフレから脱却していきました。今、同じことを行えば、デフレからの脱却はできます。(以下ずうっと続くが略)」

もちろん私には、ここまで明確に言い切る自信はない。
なぜなら社会現象、経済現象には、こうすれば100%こうなるという確答が無いと思っているからだ。
今もデフレ社会であるから、高橋大臣よろしく3本の矢をつかえばデフレ脱却できると本当に言い切れるのかどうか?
そもそも高橋大臣の3本の矢でデフレが脱却できたのかどうか?
高橋大臣の3本の矢が無くてもデフレ脱却ができたのではないか?
結論を出す前に検討すべき議論がまだまだいくらでもある。
まず第一に考えなければならないことは時代性である。
なぜなら高橋是清大臣の時代は2・26事件の時代だ。
これから戦争へ突き進んでいく時代である。
言うまでもないことだが、戦争の時代とはインフレの時代だ。
日用品などの消費財も、消費財を作る機械などの生産財も軍需に回されたり、敵の攻撃により破壊されたりするのが戦争の当たり前の姿だ。
「日本はみごとにどの国よりもいち早くデフレから脱却していきました」という渡辺発言は決して誇らしく言うべきものではないと私は思う。
それは単に、当時の日本においては製品を作る機械はほとんど欧米製であり、生産力が脆弱だった。
欧米よりも生産力が脆弱だったから、欧米よりも早くインフレになってしまった。
渡辺さんと異なり、私はこういう風に見るのが真実に近いと思っているのである。
したがって、高橋さんご本人がご自身の政策を誇らしく思っていたかどうかとも思う。
私は、社会現象や経済現象を明確に説き明かして見せる人ほど、眉に唾をつけて話を聞く人という風に思っている。
仮に高橋政策をやってみて失敗したら、それこそ目も当てられぬ借金だけが残るだろう。
財政危機が深まれば深まるほど続けば続くほど、こうした危うい財政・金融政策、眉つば財政・金融政策が飛び交い続けるのであろう。

かげろへる2大政党制(第388回)

少々古臭くなった話ではあるが、2005年9月の衆議院総選挙において、自民党は83人という大量の新人候補を当選させた。
いわゆる小泉チルドレンである。
ところが2009年8月の政権交代選挙を経て、小選挙区で再び当選してきたチルドレンはたったの3人だった。
稲田朋美(福井1区)、赤沢亮正(鳥取2区)、小里泰弘(鹿児島4区)である。
このうち赤沢氏は祖父が自治大臣、小里氏も父親が総務庁長官など幾つかの大臣だったので、いわゆる「地盤」「看板」などがもともとあった。
そういう意味では、いわゆる実力(?)で勝ち残ったのは稲田氏一人だったとも言える。
83人が一気に一人とは慄然とする結果である。
その一方で、民主党の新人議員が143名も誕生した。これまた異常な人数である。
小泉旋風のときは自民党が圧勝、それがそれほどの年月を経たわけでもないのに今度は民主党が圧勝。
こういう極端から極端への流れをみると、日本という国はつくづく2大政党制になじまないのだと思う。
V9時代の巨人・阪神戦において、どんなに負けようが熱狂的に声援を送る阪神ファンには脱帽ものであった。
つまり負けようが、勝とうが、根強いファンがいてこそのプロ野球なのだと思う。
してみると、根強い支持者が存在しない政党による2大政党制が成り立つとはとてもとても思えないのである。

参議院の定数問題(第387回)

今朝の読売新聞は『議員定数 削減競う』とし、各党の議員定数にかかわる公約を比較検討している。
定数をどうこうすることもさることながら、最も大事なことはどのような院であれ民意を反映しない院は無用だということである。
その意味で、やはり小選挙区制には重大な欠陥があると指摘しなければならない。
先月、6月13日に行われた松戸市長選挙において本郷谷氏が55369票で当選した。
このときの保守票は96302票であった。ダブルスコアに近い票差である。
ところが保守系無所属候補が3人も立候補したためにともに落選した。
小選挙区制というのは、単に死に票が多いという問題点だけではなく、このように候補者が増えれば増えるほど民意が反映されないケースがでてくるのである。
したがって単に定数をどうするかという議論は選挙区制度の改革を行ったうえで判断されるべきものなのである。
また、時に聞こえてくるのは参議院無用論だ。
この問題については、いつも思い出すのが昭和61年(1986年)の中曽根内閣が圧勝した衆参ダブル選挙だ。
ダブル選挙はやはり憲法上あってはならないものと私は思う。
衆議院が解散してしまったときに、なおかつ参議院選挙が行われるとなれば、仮に緊急事態があって国会が召集されたとしても、それに応じられるのは参議院議員の半数しかいない。これが現実だろう。
衆議院の解散時にも参議院がちゃんと機能していて、政治的空白はないという状態であること、それが参議院の使命でもある。
つまり衆議院に解散ある限り、衆参ダブル選挙はあってはならないのである。
ましてや衆参ダブル選挙を党利党略のために使おうという政党があれば、それは国民軽視そのものであり、そのような政権党には政権党たる資格はない。
国民生活を政争の具にされてはたまったものではない。
国民は、衆参ダブル選挙を行おうとする政党に対しては厳しい糾弾しなければならないのである。