日別アーカイブ: 2009年5月28日

議員は民意をすくいあげるプロでありたい

臓器移植法案は、5月22日の衆議院厚生労働委員会でD案の趣旨説明が行なわれ四つの法案が出そろった。
いよいよ国会内で多数派工作が激化していくわけだが、これが国民あげての議論になっていないのはどうしたことだろう。
前回の改正から10数年もたっているのに実際の移植手術はあまりにも少ない。したがって、私たちの生活にとって身近だとは到底いえない。
この身近であるか身近でないかというのは関心の高さに決定的に影響するので、これをもって一般社会人を責めるのは酷というものだ。
むしろ選択を迫られる国会議員の側が国民的盛り上がりの乏しい中でいかに民意を救いあげるかが問われる。
民意をすくい上げるプロの技をここで見せて欲しいのである。
結論的にいって、私は目の前の命を救いたい。これが多くの国民の素直な感覚であると思う。
だからこそ、一度も会ったこともない他人のお子さんであっても「移植手術にカンパを!」と言われれば1億円を越える寄付が集るのだ。
単なるお金ではない。そこには何とかその子を助けてあげたいという思いが凝縮しているのだ。
その一方で、その子を助けるためになぜそんな高いお金がなければならないのか?
なぜわざわざアメリカまで行かねばならないのか?
アメリカに行かねば助からないというのなら1億円の寄付を集められない国の子どもたちはどういうことになっているのか?
アメリカ人の臓器を移植して、大金を持ってきた(外国人であるところの)日本人の子どもを助けることについて、同じ病気のアメリカ人の子どもやその他の国の子どもたちはどう思っているか?
そういった疑問に対しての議論はほとんどなされていないような気がする。
日本に生まれた子どもは、たとえ臓器移植が必要だったとしても移植手術はできないことになっている。
法律によって15歳未満の子どもの臓器提供が禁じられているからである。
もし、この法律が民意に支えられているとするならば、移植手術を受けに渡米することはおかしな話である。
15歳未満の子どもで臓器移植が必要な子は可愛そうだけれども死になさいという法律なのだから。
ところが現実には、渡米する子どものために善意のカンパが集るのである。
つまりこの法律が国民的合意ではない証左と思えるのである。
どうか今回ばかりは、国会議員たちには公平な目で、理屈や中途半端な論理ではなくぜひ民意をくみ上げる努力をして欲しいと思う。

大事なものを見落とすとき

平成20年度の国の第二次補正予算の中に見落としていたものがあったことは大きな反省材料である。
それにしても、なぜ見落としてしまったのだろう。
理由の第1は、とにもかくにも失業を止めねばならない という意識が強すぎたことにある。
多くの交付金や基金の中で「ふるさと雇用再生特別交付金」「緊急雇用創出事業臨時特例交付金」などをどう活用するかと言う点に意識が偏ってしまったのだ。
理由の第2は、雇用を生み出すべき中小企業の倒産を止めねばならない という意識が強すぎたことである。
保証・貸出枠の30兆円への拡大が実現したり、金融機関への資本注入といったことに目が行ってしまったのだ。
理由の第3は、定額給付金の支給という生活者支援策が大きすぎて、自分の意識の上でそれに幻惑されてしまった気がする。
理由の第4は、第二次補正予算の成立が本年の1月26日であり、かつ新年度予算案が動き出す直前だったことから、2月補正を組むのにあまりにも時間的余裕がなかった。やはり正直なところ慌てていた。
もちろん、これらはあくまで言い訳に過ぎず、県内各市町村まで含めた予算に目が行き届かなかったのは紛れもない事実だ。
今後の戒めとして厳重に受け止めていかねばならない。
では見落としたものとは何か?
それは障害者自立支援対策臨時特例交付金特別対策事業である。
この事業群はおおよそ25項目にわたっているのだが、その中の『(20)その他の法施行に伴い緊急に必要な事業』の『(エ)視覚障害者等情報支援緊急基盤整備事業』がそれだ。
事業概要には「市町村等が行う情報支援機器(拡大読書器、テレビ電話等)の整備及び音声コードの研修及び普及、聴覚障害者が所有している「聴覚障害者用情報受信装置」の地上デジタル化に伴う経費について助成する。」と書かれている。
せっかく1月30日に議会幹事長会を開催したのに実にもったいない話である。これに気がついていれば施策展開がかなり違った形になっていただろうと悔やまれる。
しかし、まだまだ間に合う。これから挽回だ。
再度、補正予算の中身を精査しながらさらなる県民福祉の充実に着実に手を打っていきたい。