月別アーカイブ: 8月 2013

分かりにくい社説

今朝の毎日新聞社説は『国の役割も忘れるな』という表題で、原発廃炉の負担について論じています。
その主張は以下の2点です。
1、「脱原依存」を進めるために国も積極的に役割を果たせ。
2、国も廃炉費用の負担をせよ。
その論拠として、廃炉の負担を電気料金に上乗せするだけでは利用者の反発を招きかねないとしています。
しかし、論点2の「国」は、明らかに国民です。つまり、電気料金の値上げだけでは利用者は反発しかねないので、税金投入をせよと言うわけですが、税金もまた利用者の負担です。
「国がやるべき」「国が負担すべき」と言うと、あたかも国民とは別人格の「国」と言う存在があって、そちらが責任を負ってくれそうな錯覚を起こします。しかし、現実は「国=国民」なのです。
かつて、「退却」を「転進」と言い換えたり、今なお「戦車」を「特車」、「爆撃機」を「支援戦闘機」と言い換えたりしていますが、そういうことも含めて、都合の良いあるいは都合の悪い言い換えはもうやめにした方が良いように思います。
忙しい現代人にとって、こうした言い換えが誤った世論形成にならなければよいなと思うのです。

貝原益軒の健康術

いつの時代であれ、大切なものの一つは『健康』です。かく言う私も、今のところ体重65kg以下を何とかキープしています。
江戸時代のベストセラー健康本と言えば、貝原益軒の『養生訓』です。今読んでもなるほどと思うことがきちんと書かれています。
たとえば、益軒は『少欲』を唱えます。欲を貪って不健康になることを『宝石を持って雀を打つような(愚かな)こと』だと言います。そして、『心を楽しませ、身体は動かす』のだと。これが病弱だった益軒の結論のようです。
さて益軒は、もう一つ興味深い著述を残しています。『楽訓』です。
人生を楽しむコツのようなことが5つ書かれています。
第一に自然を楽しむこと。花を愛でる、月を愛でるということですね。
第二に読書を楽しむこと。自分とは違う感性や思考を楽しむのでしょう。
第三に旅行を楽しむこと。知らない風土や新しい体験を楽しむ。
第四に交際を楽しむこと。人は何と言っても情報の塊ですから刺激を受けます。
第五は、忘れてしまいました。いずれ機会があればもう一度読んであらためて紹介します。
それにしても、益軒の徹底した追究心には凄みを感じます。古典は本当に面白いですね。

6年前とは様変わり

この夏、安倍総理は長期休暇を取っているとのことです。6年前の官邸がフル稼働だったことを考えると本当に様変わりです。
6年前の参院選では、民主党が大勝し小沢一郎代表の存在感がこれ以上ないほど高まりました。
小沢氏は、最初に行った人事で旧社会党系・教職員組合出身の輿石東氏(71歳)を参院議員会長に据え、このときから小沢・輿石ペアが誕生します。
しかし、私が最も驚いたのは、人事ではなく政策決定の仕組みを180度変えたことです。
部門会議から政調役員会、そして「次の内閣」閣議を経て政策を決定するとしていたのを、トップダウン型に一新しました。
すなわち、「四役懇」という小沢代表、菅代表代行、鳩山幹事長、輿石参院会長の4人が決め、それを役員会、常任幹事会へ下すという仕組みです。
トップ4人の関係を見れば、小沢氏の意向がそのまま党の決定になることは想像に難くありません。これによって過去に決めたことをいくらでもひっくり返えせる体制が出来上がったと私は思いました。
私は、この組織改革の良否を評価する立場にありません。しかし、参院大勝がなければこのような改革には着手しなかったでしょう。

災害対策の敗因

百田尚樹氏の『永遠の0』を読んでいます。太平洋戦争での敗因が繰り返し語られています。
第十章『阿修羅』には、景浦という人にこう語らせています。
『戦後、俺は何度も賭場を開いたが、素人ほど熱くなる。有り金のかなりをすってしまうと、頭に血が上って、僅かばかりの小金を残していても仕方がないと、全部を賭けてしまうのだ。軍令部の連中にとったら、艦も飛行機も兵隊も、ばくちの金と同じだったのよ。勝っている時は、ちびちび小出しして、結局、大勝ち出来るチャンスを逃した。それで、今度はじり貧になって、負け出すと頭に来て一気に勝負。まさに典型的な素人ばくちのやり方だ。』
語らせる内容、人物ともに、さすがベストセラー作家だと思いました。
災害対策のあり方も全く同じだと思います。
小出しにして大変な被害を出し、慌てて予算措置をするというパターンは絶対に避けなければなりません。
災害対策もまた全力をあげなければならない戦いだと思います。

本場の『八木節』に出会う

今日は、利根川治水同盟治水大会に出席しました。
河川協会理事の青山俊樹氏の講演を伺うことが目的でしたが、開会前の会場で足利市八木節連合会の歌と演奏・演舞を堪能しました。
お恥ずかしいことに『八木節』が両毛地域の八木宿で誕生したことを初めて知りました。
まったくの受け売りですが、『八木節』は現在の足利市堀込町に住んでいた渡邉源太郎氏が創作したものだそうです。八木宿中心に流行っていたので『八木節』と命名し、大正時代にレコードとして発売。それからちょうど100年なのだそうです。
今日は、テンポの良いリズムと切れの良い踊り歌い手の美声に、暑さも忘れて聞き惚れ見惚れてしまいました。
足利八木節連合会ならびに八木節本流野州会の皆様に心から感謝申し上げます。