東北地方太平洋沖地震」カテゴリーアーカイブ

津波警報に高さまで必要か?

「津波警報に高さまで必要か?」というのは古くて新しい問題です。
もしかしたら、以前にこのブログで同じテーマで書いているかもしれません。
にもかかわらず、ここで触れなければと思いましたのは8月26日の自治体議会政策学会で群馬大の片田敏孝教授が話題として出されたからです。
教授の話は、3月11日に出された最初の津波警報は津波の高さが「岩手3メートル」「宮城6メートル」であり、その後「10メートル以上」と訂正されるのですが、その時にはすでに停電で住民に伝わっていなかったというものでした。
私も7月28日の読売新聞に『津波警報更新7割知らず』と報じられた記事をファイルしてありますのでこのことは知っていました。
津波の高さも到達時間も即座に正確に出せるものではありません。阪神淡路大震災の震度の第一報は「大阪震度5」でした。テレビに映し出された映像は大阪市内のコンビニの棚から落ちた缶が数個ころがっているというだけのものでした。
震度計や津波計も壊れますし、停電でデータが送信できなかったりすることもあります。
つまり本当に大変なところへ情報は伝わりにくく、本当に大変なところの情報は外へ出てこないのです。
そのうえ津波警報が「10メートルの津波」と言っても10メートルの津波が襲ってくるのではありません。津波のスピードは水深の約10倍の平方根ですので水深が浅くなればなるほど遅くなり、その分高さを増します。
ですから、7月16日の毎日新聞で報じられていましたが『津波 遡上高40.5メートル』だったのです。遡上してくる高さを警報での高さでイメージしては行動を誤ります。
さて、米国の津波警報では高さは知らせません。その理由は二つあります。
一つは「何メートル」と言ってしまうと、「それなら逃げない」という余計な判断をする人がでてくるからです。
もう一つは高さを知らせない方が早く警報を出せるからです。(計算ミスも防げます)
この二つの理由を乗り越えられるのなら、もちろん高さを知らせるほうがよいに決まっているのですが、皆さんはどうお考えでしょうか。

原子力政策、二つの特殊性のぶつかり合い

原子力の平和利用を考えたときに、日本の特殊性は際立っています。
一つは地震国であり、津波大国だということです。
そんな危険な国土に原子力発電所を置いてよいのかという議論になります。
もう一つは資源小国です。
量も価格も国際政治に大きく左右される石油にエネルギーを頼るのは安全保障上きわめて危険であり、原子力発電は必要だという議論になります。
(※今回の事故を見ると、原発が攻撃受けたときに壊滅的な被害をもたらすという安全保障上の問題も浮き彫りにされましたが、ここではその議論は置いておきます)
8月20、21日に行った共同通信社の調査によれば、「脱原発依存を次期首相が引き継ぐこと」について、「賛成」「どちらかと言えば賛成」をあわせると75.5%だそうです。
今後は間違いなく、脱原発の流れに進んでいくことでしょう。
ただし、私たちが忘れてはならないことは、すでに原発・原子炉が存在し、すでに使用済み核燃料が存在し、すでに高レベル低レベルの放射性廃棄物が存在しているということです。
これらをどうするかという技術的な方策は立っていません。
つまり、これら放射線を出し続ける厄介な物質をどう処分・処理するかという研究は今後も継続的に続けなければなりません。
「脱原発」により、原子力産業は成り立たなくなります。産業として成り立たないところに自然に研究者が集まることはありません。すると、国策として研究者・技術者を確保・養成しなければなりません。
自由に職業を選べる国ですから、国策として研究を誘導するとなれば、それなりの報酬を出さねばなりません。そこに多額の税金をつぎ込むこと、その金額の是非を判断すること、研究成果を評価すること、すべてが困難に満ち満ちています。
スーパーコンピューターの開発や宇宙開発よりも、はるかに成果が見えにくく、成果のとらえにくい分野です。
しかし、脱原発に舵を切るのであれば、この覚悟だけは絶対にぶれてはいけないのだと思います。

広島型原爆 X 個分とは?

8月13日の読売新聞に『放射性物質の量 広島型原爆20個以上』という記事がありました。
児玉龍彦東京大学アイソトープ総合センター長が原子炉の熱量から広島型原爆の20~30個分と算定したという記事です。
この記事をどう評価すればよいのか?実はよくわかりません。
広島においては、わずか1Kgのウラン235が核分裂したと推定されています。にもかかわらず、爆心地から500mでは死亡率90%以上、500mから1Kmでは60~70%の人が即死し、約14万人が亡くなりました。
爆心地における地表温度は3000~6000度に達し、屋根瓦は溶け木造家屋は自然発火しました。(ウィキペディアによる)
こうしたものすごい爆弾の20~30個分というのは想像を絶するものです。
一方、東大病院放射線科の中川恵一准教授(かつて私の時局講演会においでいただいたこともある立派な先生です)の『放射線のひみつ』(朝日出版社)には、チェルノブイリ原発事故では広島型原爆400個分の放射性物質が放出されたと書かれています。
この事故では、作業員53万人の平均被ばく線量117ミリシーベルト、周辺避難民11万5千人は31ミリシーベルト、ベラルーシ、ロシア、ウクライナの住民640万人は9ミリシーベルト、ヨーロッパでは0.3ミリシーベルトだったという2008年の国連科学委員会の報告が紹介されています。(すべて全身被ばく=実効線量)
広島原爆と言えばやはりその悲惨さがすぐに思い浮かびます。それとの比較記事を載せるのですから、当然「福島の事故は大変なんだ」と言いたいのでしょう。
そうであれば、記事では単純に対比できないものを対比したのですから「何をどう恐れればよいのか?」をぜひ示してもらいたかったと思います。読者が一番知りたいのはそこなのですから。

コスモ石油事故に思う

8月2日、コスモ石油千葉製油所の爆発火災事故の調査結果が公表されました。
地震が直接の原因ではありましたが、人為的なミスによる問題点も浮かび上がりました。
第一に、タンク検査のために水が満たされガスの2倍の過重かかっていたこと。
第二に、緊急時にガスを遮断する弁を開状態で固定していたこと。
特に、二番目の行為は法令違反であり、実は私が最も心配していたことです。
私は、6月22日の千葉県議会代表質問で、県当局にこう質問しました。

『仮に、津波火災が本県臨海部で起こるとすれば、石油コンビナートの損傷、被災船舶からの燃料漏出、高温反応炉の浸水による爆発、冷却すべき化学物資が停電によって常温発火、そして家庭からの出火といった原因が想定されます。(略)
本県でも津波ではありませんでしたが、市原市のコスモ石油千葉製油所の高圧ガスタンクから出火し、隣接のタンクに延焼して、断続的に爆発する事故がありました。
そこでお伺いいたします。(略)臨海部の工業地帯の石油化学事業者などへ有害物質流出対策の立案を指導すべきと思うがどうか?』

私の問題意識は、「自然災害を止めることは出来ないが、それに対処することが出来ない事態にしてはならない」というものでした。有害物質が流出してしまった場合がまさにそれに当たります。
ガス遮断弁が開状態に固定されていたということは有害物質が流出することに何らの問題意識を持っていないことになります。それは犯罪行為なのだと肝に銘じてもらいたいのです。

福島の人たちに申し訳ない思い

8月2日付の朝刊各紙には重大な記事がいくつもありました。
『毎時10シーベルトの高線量を確認』(千葉日報)
それも、実は計測器の限界を超えていて10シーベルト以上だというのですから緊急事態です。
核種が水素爆発のときに飛び散っていたのでしょうか。
『沖縄にも放射性物質』(東京新聞)
放射性セシウムが、地球を何周か回ってとうとう沖縄に降下したわけです。
こうした記事ををみると、迷惑をかけているすべての人に対して、とりわけ福島の人たちには申し訳ない思いでいっぱいです。
千葉県には原子力発電所がなかったこともあって、これまで原子力政策について本格的な議論をしてきませんでした。
2005年10月に原子力政策大綱が出された時が、議論のチャンスだったかもしれないと今にして思います。
その年の7月、福島県はいくつもの提案をしています。その主なものを記述します。
1、原子力政策に国民的議論の仕組みを組み込むべきである。
2、(使用済み燃料の)再処理及び直接処分の長所短所を明らかにして今後の在り方を決めるべきである。
3、再処コストは妥当なのか?再処理政策に固執することは将来を見誤ることにならないか。
4、高速増殖炉の実現性は疑問である。第三者による事業評価を行うべきである。
5、プルトニウムの定量的な処理見通しを示すべきである。
6、使用済みMOⅩ燃料の環境に対する影響が考慮されていない。
7、原発での死傷事故や不正事故を未然に防止できなかった。安全確保の仕組みを整備すべきである。
8、原子力安全・保安院を経済産業省から分離すべきである。
9、国の安全規制行政が有効であるという根拠を示していない。これまでの実態を客観的に評価、記述すべきである。
政策決定プロセス、核燃料サイクル、安全性、経済性、高速増殖炉の実現可能性、核不拡散、環境適合性、安全規制体制など各分野からの疑問・提言でした。
これに対して、国はどう応えたのでしょうか。
原子力政策大綱は、福島県の提言のほとんどすべてを無視したように思われます。
そして、それに対して福島県以外の都道府県は何らのアクションを国に起こさなかったように思うのです。
福島の人たちには本当に申し訳ない限りです。