日別アーカイブ: 2009年9月24日

八ツ場ダムの議論に欠けているもの(第314回)

9月24日の読売新聞の八ツ場ダム中止に対する社説『公約至上主義には無理がある』の結論は、「中止の場合の財源は貴重な国民の税金であり、ダム完成より中止の方が余計に金がかかる。そうした損得勘定も考慮すべき(趣旨)」という内容だ。
9月23日の毎日新聞の社説『時代錯誤正す「象徴」に』では、どれくらいかかるかという費用の概算があげられている。
それによれば、完成の場合はあと約1400億円だという。ただし完成後の維持費に年間10億円弱かかるとのこと。
一方、中止の場合は、自治体負担金の返還で2000億円、生活再建関連事業770億円だという。
2000億+770億?1400億?500億(50年維持として)=870億
しかし、それでも毎日新聞は「八ツ場だけの損得を論じても意味がない」とばっさり切り捨てる。
870億円(かどうかは正確には分らないが)という国民の税金など毎日新聞社にはどうでもいい金額であり、ましてや地元住民の人生など論ずるに足らぬとでもいうのであろうか。
しかし、実はまだ見落とされている費用がある。
それは下流の都道府県や市区町村では水害対策のための堤防や河川の幅(断面積というのであろうか)を八ツ場ダムがあるものとして計算して整備しているという点である。
すなわち、もし八ツ場ダムがないのであれば、下流域の水害対策は抜本的な見直しを迫られ、最初の計画段階からやり直しとなる。
そのための費用は自治体が出すにせよ国が出すにせよ要するに国民の税金である。
八ツ場ダムは、民主党のマニフェストにも掲載されたり削除されたりと党内で真剣に議論されたふしがない。
にもかかわらず、まるで公共事業全般の見直しのための生贄のように問答無用で切り捨てられた。
毎日新聞は、それを『生贄』とは言わず『象徴』としたのであろう。
民主党は、八ツ場ダム中止を勝手に宣言してしまったが、たとえそうであっても中止した場合にはどのくらいの費用がかかるのかは明確に示してもらわねばならない。

八ツ場ダムに見る民主党に欠けているもの(第313回)

八ツ場ダム中止をめぐる民主党の手法を見ていると、この党の欠陥があらわになってくる。
最大の欠陥は、地域に根ざしていないことだ。
いくら選挙が済んでしまったからといって、ここまで住民に対し徹底的に冷酷になれるだろうか。
ダムの地元住民の悲痛な声にここまで徹底して「聞く耳持たず」を貫けるのは、結局この党の本音が「地元民のことはどうでも良い」ということなのだとしか思えない。
考えてみれば、民主党の少なくない議員がいきなり選挙区を割り当てられ、いきなり当選してしまうのであるから地元のことなど考える必要もないだろう。
議員が駅頭でマイクを持つのは、知名度を高め、当選し、住民の声を議会に届けるためである。
地域で目立つことが目的であっては本末転倒だ。
ましてや民主党の議員は小選挙区の議員ですら地元での生活実態がよく分からない議員が多いのが気になる。
こうした地域とちゃんと向き合ってない体質が、八ツ場ダムの場合では全面的に出でてしまったと見るべきだろう。
第二の民主党の欠陥は議論無視である。
9月24日付の読売新聞朝刊に地元の声をとして『中止はあまりに独裁的。理論も議論もない。』というものがあった。
民主党の体質をこれほど的確に表現した言葉は無いだろう。
そもそも民主党内で、党の方針や根幹の政策をきっちり議論してしまうと党自体をまとめることが極めて困難になる。
難しい問題の議論は避けるという体質がやはり八ツ場ダムのケースで出てしまったと思われる。
しかし、党内でならいくら独裁でもかまわないが、圧倒的多数を占めた国会の中で議論なし独裁では恐怖政治以外の何ものでもない。