月別アーカイブ: 10月 2007

要するにモバ家族?(第151回)

戸彩や黒人男性や犬が同じ家族だという奇妙な設定のソフトバンクのCMについて、「要するにモバ家族なのか?」というと皆さんはどう思われますか?
A)「遅れている。今ごろ気づいて。」
B)「ブー!ぜんぜん勘違い!」
C)「何を言っているのか、まるで意味が分からない。」
皆さんの反応が非常に怖いところです。
モバゲータウンというバーチャルタウンがケータイ電話の人気コンテンツなのです。
この町の中でゲーム参加者がアバターという仮想の人物?になり、また家族になったりできるのです。モバゲーは20代前半までのケータイ世代ならおそらく誰でも知っていて、50代以上のPC世代はおそらく誰も知らない。
当たり前といえば当たり前でしょうが、バーチャル世界は現実世界以上に世代間に断絶があるようです。
私は、前回150回目の独り言でケータイ電話のウイルスについて書きましたが、今後はケータイ世代のネット被害について対策を考えねばならなくなることは必至だと思います。
そうであれば、若者に人気のケータイのコンテンツはたとえ50代であったとしても知っておく必要があります。
高校生の息子に「あのソフトバンクのCMは要するにモバ家族なんだろう?」と尋ねると、一言「知らない。」との返事。
したがって、あの奇妙な家族がモバ家族を象徴しているのかどうか未だに謎は解けておりません。

「樹雨(きさめ)」とは美しい言葉(第157回)

日本林業技術協会の大谷義一氏の文章を読んでいたときに「樹雨」と言う言葉に出会った。
「樹雨」とは、濃い霧により木々の葉や枝が濡れ、それが水滴となって落ちてくることを言う。
樹の雨とは日本人らしい繊細な美しい言葉だと思う。
ところが、この言葉は歳時記にはない。実にもったいない。
こういう美しい言葉こそ季語にふさわしいと思っていても、個人が独断で季語を決めるわけにはいかない。人口に膾炙するような名句が生まれて季語は定着する。
虚子の時代、虚子のような存在であったら、ホトトギス雑詠集の兼題に取り上げれば、全国各地から(異国からも!)句が集まり、「樹雨」ほどの言葉であればすぐに定着するだろう。
しかし、今はそのような時代でも環境でもない。
本土寺参道を歩いていたときに『参道の時雨樹雨となりにけり』という句が浮かんだ。
まだ季語になっていない以上、『時雨』を詠むしかなかった。
「樹雨」
俳句に限らず、手紙などいろいろな場面で使うことによって、美しい言葉は残したいものである。

中高年の新たなストレス(第150回)

私のPCには毎日、毎日200から300のメールが届く。そして、そのほとんどが迷惑メールである。
死活的に大事なものはせいぜい2、3通で、まあまあ大事なのが全体の5%ほどだろう。
サーバにアクセスすると、まずスパムメールの削除から仕事が始まる。
これが非常に厄介な仕事で、大事なメールを削除しないように相当神経を使うのである。
当初はフィルターを使っていたが、圧倒的な数のスパムメールの前に無力感を味わった。
さて、以上はPCの話である。
10月10日号のニューズウィークにまことに嫌な記事が出ていた。 「iPhone人気で携帯ウイルス」 という記事である。
携帯も格段に便利になった。ブラックベリーなど機能が相当充実してきた。
したがって、ウイルスが入り込むのは時間の問題と言ってよい。否、もう入り込んでいるのかもしれない。
迷惑メールやウイルスがなければ、ネット社会は天国に思える。
しかし、人間の性(さが)というものはどうしようもない。
PCよりも画面の小さい携帯では耐え難いストレスである。
中高年はまた新たな厄介を抱え込むのである。

地方行政、譬えてみれば地球寒冷化

来年3月に、わが千葉県にて『G20 グレンイーグルズ閣僚級会議』が開催されることとなった。
地球環境について実りある対話を期待したい。
地球は太陽からのエネルギーによって生かされているが、地球全体に均等にエネルギーが注がれているのではない。
どうしても太陽エネルギーが真正直に当たるところとそうでないところが生じる。
したがって、赤道付近はどんどん暑くなるし、極地はどんどん寒くなる。平地は暖かく、山岳地は寒い。
ところが地球のダイナミズムは、そのような熱エネルギーの偏在を一定以上は許さず、大気の流れなどでエネルギーを均等化させる。
赤道付近で生まれる台風などがその好例であろう。
この構図はどこかで見たことがある。そう、地方と都市の関係そのものである。
カネは都市に落ちる。都市はどんどん豊かになる。その一方で、陽光が降り注ぐように好景気だとしても地方はどんどん冷え切っていく。
では、この循環を均等化させるものは何か?
地方交付税が「台風」だった?と言えるのかも知れない。
地方は「熱エネルギーの循環を弱めれば生きていけない」と主張する。「エネルギーそのものをよこせ」とも主張する。
これは正しい認識であり、正しい主張だ。
しかし、より重要な事実は太陽エネルギーそのものが減少しているということなのである。
まず、国も地方も関係なく力を合わせ太陽エネルギーを増大化させることに智慧を絞らねばならない。
国も地方もエネルギー利用を節約せねばならないのは当然だ。しかし、少なくとも太陽エネルギー増大化については、国という機関、地方という機関の問題だと捉えているうちは、とても解決するとは思えないのである。