月別アーカイブ: 11月 2014

夕張再生の裏にあるもの

週刊東洋経済11月15日号の書籍紹介『Books Trend』は、鈴木直道著『夕張再生市長』でした。
夕張市再生のために何が行なわれたか、非常に参考になります。
鈴木氏は語ります。「人件費は80億円近く圧縮できた。年間の市税収入が8億円だから革命的なこと」
さらに衝撃的なのは市民生活に関わる部分です。
「東京23区よりやや広い面積で小学校は6校を1校、中学校も3校を1校に一気に集約した。役所の出先機関は5か所のうち4か所を廃止。今は夕張には図書館もない。市民会館も集会場も全廃した」「施設使用料や水道料の値上げ。市民税の均等割りも法律の上限、4000円にしている」
さて、私にはもう一つ知りたいことがありました。それは、夕張市が借入れをしていた金融機関がどのくらい債権放棄をしたかです。
これについては何も語られていません。
はたして『夕張再生市長』では明らかにされているのか、非常に興味があります。

買い物弱者はどこに?

「買い物弱者」という言葉が良く使われるようになりました。
経産省のホームページには『食料品等の日常の買い物が困難な状況に置かれている人々のこと』と書かれています。
一応の定義は、「65歳以上」「運転免許を持っていない」「日常品のお店まで500メートル以上離れている」ことだそうです。
そこで、生鮮食料品を売っているスーパーなどを中心にして、地図上で半径500メートルの円を描いてみました。
円の外になる地域には、大体「かつてスーパーがあった」という共通点が見られます。
ちなみに、わが家を見ると、何とわが家も半径500メートル外でした。
確かに、数年前までわが家の目の前にスーパーがありましたが、今はマンションになっています。そして何よりも、私が小学生のころはわが家自体が店をやっており野菜を売っていたこともありました。
灯台下暗しとは言ったもので、買い物弱者問題は、実は本当に身近に迫る問題なのでした。

生々しい海部俊樹著「政治とカネ」

新潮新書の海部俊樹回顧録を読みました。あまりに生々しいおカネのやり取りに驚くばかりです。
たとえば、三木武夫氏の三度目の自民党総裁選出馬の場面です。
『クリーンと謳われた三木さんだって、実際には各派に金を配った。使い走りをしたひとりがこの私で、何人もの議員が、私から金を受け取った。受領した人々が約束を守っていれば、三木氏の票はもっと伸びたはずだ。それなのに、彼らは裏切った。』
また、中堅代議士の金の流れにも言及しています。
『選挙時、派閥後輩議員に約500万円 盆暮れに、同じく200万円 派閥内代議士のパーティ祝儀 10万円~100万円 以上が私の相場だった。(略)庶民感覚と大きく離れていることは、私自身が十分承知している。承知の上でそうせざるを得ないのが、自民党政治だった』
私などには全く想像を絶する話で、これでは金銭感覚がおかしくなって当たり前だと思いました。さて、今はどうなのでしょうか。

今夜は質問づくり・・・なのに

12月議会の代表質問に登壇します。遅くとも11月5日には大まかな質問項目を提示しなければなりません。
まず財政の問題をまとめるべく、平成26年度「地方財政計画」や「地方債計画」をあらためて眺めています。
論理がまとまらない中でいろいろな考えが脳裏をよぎります。
臨時財政対策債5兆5952億円。前年度より6180億円の減です。これを頑張ったとみるか、それともこれだけ税収が増えても5兆6000億円かと見るか。
地方債計画の方を見ると、一般廃棄物処理が294億円減です。これは過疎対策事業で対応するようで、こちらは550億円の増額となっています。
うがった見方をすれば、過疎対策債というのはそもそも誰が返済するのかという問題があります。
その過疎対策で一般廃棄物処理をまかなうというのですから、過疎地に処理場をということなのか。
評価できるもの、意味不明のものなど次々湧き上がり、ただ時間だけが過ぎていくのです。

三百年眠れる富士や秋麗ら

冬富士今朝の毎日新聞「季語刻々」は、表題の尾池和夫先生の句でした。この句の鑑賞は様々あることと思います。
気象庁が火山の定義を「概ね過去1万年以内に噴火した火山及び現在活発な噴気活動のある火山」に変えた時に思ったことがあります。それは『1万年』という時間の長さ、短さについてです。
たとえば「万葉集」は1300年ほど前のものです。その頃、富士山の煙が見えたのは有名な話です。
人類が誕生したのは20万年前。生命の誕生が38億年前。
私たちが生まれてこれたのは父母がいたからです。その父や母にもまた父母がいて、その父母にもまた・・・。この繰り返しが38億年前から営々と繰り返されて今日があります。つまり、いま私たちが生きているのは、気の遠くなるほどの悠久の時間があったからなのです。だから命は大切なのだとつくづく思います。
300年眠っている富士は、「命の大切さ」「命のしぶとさ」まで感じさせてくれました。