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歴史書と歴史認識

iPadminiを買いました。iBooksというアプリで何冊もの書籍が無料でダウンロードできます。そこで『方丈記』を入手しました。『方丈記』には当時の災害の様子が書き込んであります。
『元暦二年のころ、おほなゐふること侍りき。そのさまよのつねならず。』
『なゐ』というのは地震のことです。鴨長明は次のように描写しています。
『山くづれて川を埋み、海かたぶきて陸をひたせり。土さけて水わきあがり、いはほわれて谷にまろび入り、(略)在在所所堂舎廟塔、一つとして全からず。或はくづれ、或はたふれ』
さらに遡って『古事記』を見ていましたら次のような記述がありました。
『爾順風大起、御船從浪。故、其御船之波瀾、押騰新羅之國、既到半國。』
これは神功皇后が新羅を攻めた時の記述で、「日本からの軍艦が風に乗って新羅へ渡ったらその波濤が新羅に打ち寄せて国の半分が波に浸った」というようなことが書いてあります。
この描写は津波のイメージで書かれたのではないかというのが私の個人的推理です。
どの国であれ、その国独自の歴史書はその国特有の歴史認識を形づくることになります。それはもちろん他の国の歴史認識とは異なるのが普通です。このことがしばしば不幸な出来事を起こしてきたのが今日までの歴史的事実です。
その一方で、記録として災害の状況や描写を書き残すことは非常に大事です。
結局、一つの記録を生かすも殺すも人間次第という至極当たり前の結論に落ち着くわけですね。