本年2月22日に書いた「買うものが無い時代」は撤回します。
どういう内容を書いたかと言えば、日本として買いたいものは何だろうか?
という問題意識から『円高の現在においては「資源」や「食料」を買うべきであり、破綻した外国の金融関係企業を買うことはない。』という主張でした。
これをなぜ撤回するかと言うと、今の日本が仮に食料を買った場合、10億人と言われる世界の最貧層が危機的な状況に追い込まれるからです。
『NATIONAL GEOGRAPHC』2009年6月号の特集「食料危機は克服できるか」に非常に気になる3つのグラフが掲載されています。
「増える需給」「減る備蓄」「上がる価格」です。
人口は右肩上がりに一直線であるのに食料生産はでこぼこで、しばしば人口の伸びに追いついていません。
1998年から2003年かけて食料備蓄はがくんと落ちたまま回復の兆しが見えません。
2008年4月に食料価格はピークになりましたが2009年以降も高止まりのままあまり下がりません。
してみると、現実に食料のあふれている国がこれ以上世界から食料を集めることは到底許されないことです。
したがって、主張のニュアンス自体は異なりますが、円高を利用して食料を買うとした私の発想は撤回いたします。
さて、ナショナル・ジオグラフィックの記事は、緑の革命と称された画期的な食料増産に貢献しノーベル平和賞を受賞したアメリカの農学者ノーマン・ボーローグの功績を懐疑的にみております。
緑の革命は本当に正しかったのか?と言うわけです。
何が正しくて何が間違っていたかなど到底分かりませんが、化学肥料、農薬、灌漑によって単一作物を大量に栽培することは感覚的には不自然に思えます。
同様に、牛や豚や鶏を大量に飼うことも魚や貝を養殖することも何となく不自然な気がします。
ではどうしろと言うのかと問われても名案があるはずも無いのですが、自分が恩恵を受けているにもかかわらず正直な気持ちの上ではまずいのだろうなと思っているのです。
こういう不自然と思われる方法で食料を増産すれば人間は増えます。
そして、人間が増えるとさらに増産が求められる。このいたちごっこが永遠に繰り返されるわけです。
つまり人類の前に立ちふさがるのは、どうやらウイルスだけではないと言うことのようです。
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