東北地方太平洋沖地震」カテゴリーアーカイブ

しあわせを運べるように

灘区在住の臼井真さんが、阪神淡路大震災による自宅の全壊、赴任先の小学校も避難所になるという現実に直面し、これからどうしようと考えているときに歌詞が浮かび、メロディーが浮かんだという歌があります。
表題の『しあわせを運べるように』です。
私は全く知りませんでしたが、神戸の人たちの間では有名な歌だそうです。
兵庫県医師会混声合唱団の皆さんから聴かせていただきましたが素晴らしい歌です。
この災害の多い列島に生まれた私たちの祖先も太古の昔から歌を歌いながら、励ましあいながら復興をしてきたのだろうと思います。
良い歌を聴くと音痴であることも忘れて合唱に加わってみたいと思いますし、素晴らしい曲を聴くと触れたこともないのに楽器の演奏に加わりたくなります。
メロディーは再現できませんので、歌詞のみご紹介します。
1)
地震にも 負けない 強い心をもって 亡くなった方々のぶんも 
毎日を 大切に生きてゆこう
傷ついた「ふるさと」を もとの姿にもどそう 
支えあう心と 明日への希望を胸に
響きわたれ ぼくたちの歌 生まれ変わる「ふるさと」のまちに
届けたい わたしたちの歌 しあわせを運べるように
2)
地震にも 負けない 強い絆を創り 亡くなった方々のぶんも 
毎日を 大切に生きていこう
傷ついた「ふるさと」を もとの姿にもどそう 
やさしい春の光のような 未来を夢み
響きわたれ ぼくたちの歌 生まれ変わる「ふるさと」のまちに
届けたい わたしたちの歌 しあわせを運べるように

東京湾奧には弱点多々

今日の読売新聞朝刊の1面トップと31面の関連記事は、私の危機意識とまったく同じでした。
1面の方の見出しは『2水門・4防潮堤 閉鎖失敗』、31面は『全閉鎖 第1波の30分後』です。
記事には次のように書かれていました。
「3月11日に津波警報が発令された際、国や東京都が管理する(略)「防潮設備」計6基が閉鎖できず、津波の第1波到達に間に合わなかったことが分かった」
「手作業で操作する必要がある設備は外部業者に委託しており、震災直後から電話がつながりにくく業者と連絡が取りにくくなり、現場に急行した係員も渋滞で身動きができなくなった」
実は、私が今後の津波に際して一番問題意識を持っているのが東京湾の防潮体制なのです。
今回のような事態は大阪にもあり、大阪の実験ではすべて閉鎖するのに3時間かかったという事例すらあります。
ですから、私は先の6月議会で東京湾の高潮対策を取り上げたのです。
防潮堤や陸こうなど千葉県は千葉市にゆだねております。千葉市はきちっと対応できるのでしょうか?
詳細は、平成23年6月定例会の私の代表質問でのやり取りを見ていただきたいと思います。
現実的には、読売新聞にあるように『電話がつながらない』『渋滞で動けない』ということになろうかと思います。
そうであるならば、そういう事態の際に、どういう場合にはこういことをするというマニュアルをあらかじめ決めておくしかありません。
東京湾の管理自体は千葉県ではない、ということが県の動きを鈍くしているような気がします。
しかし、県民の命と財産を守るというのならば、千葉市ほか関係市や東京都、あるいは国と手順を確定する中で、それら団体がちゃんと業者と連携を取っているかも、県民になり替わって確認してほしいものです。
こういうことはやりすぎて無駄になる方がはるかに良いわけですから。

はたして想定が「甘すぎた」のか?

今朝の千葉日報に『危険想定「甘すぎた」』という見出しの記事が出ていました。
9月14日に、国連のIAEA、WHOなど16機関がまとめた包括報告の中での福島第一原発事故についての指摘です。
報告には「どんな形態の事故が起きる可能性があるかについて想定が甘すぎた」とされています。
しかし、私の見方は昨日の本ブログでも書きましたように「甘すぎた」というよりも「なかった」というべきだというものです。
より正確にいえば、「ないと思い込んだ」「ないと信じた」「ないことにした」という感覚ではないでしょうか?
そもそも、世界のどこであれ、どのようなものであれ、人が作ったモノであれば事故を100%なくすことは不可能です。
ましてやわが国は災害大国です。地震、台風、火山ほとんどすべての備えが必要です。
そこで、検討に5年間も費やし、2006年9月に改定された新しい耐震指針で原発の受ける最大加速度は450ガルと定めました。
しかし、それから1年もたたないうちに起こった新潟県中越沖地震(2007年7月16日)に際し、柏崎刈羽原発の最大加速度は1699ガルでした。
基準を見直してすぐに想定をはるかに超える事態に直面して、それでもなおかつ想定を変えないというのは、やはりそもそも『想定』というものがないのだと受け止めざるをえないのです。
ともあれ、国連の包括報告で重要なことは「すべての原発の事故想定を見直すべきだ」です。
今度こそ、真剣に想定を見直さなければなりません。日本という国の信用をこれ以上貶めないために。

『備え』は誰が?

福島第一原発事故で明らかになったことの一つは、原子力発電所における放射性物質拡散についての『備え』がまったくなかったということです。
まず、電源がすべて落ちるという想定がありませんでした。
そして、放射性物質が大量に漏出するという想定がありませんでした。
だから、放射性物質が飛び散ったときに住民をどう避難させるかの計画がありませんでした。
拡散した放射性物質が降下した土壌をどう処理するかという計画がありませんでした。
地域住民の飲料水の確保すらしていませんでした。
要するに事故が起こるという想定をしていなかったわけです。
しかし、これは誰が考えても非常に不思議なことです。
1999年9月30日、茨城県東海村でJCO核燃料加工施設で臨界事故が起こっているのです。
事故直後には施設周辺の空間線量が当然のように高まりました。
そこで茨城県警は周囲3キロメートルの道路を封鎖し、200メートル以内を立ち入り禁止にしました。
午前10時35分に警報が鳴り、東海村はその約2時間後の12時30分に住民へ屋内避難を呼びかけました。
小渕総理もテレビで避難を呼びかけ、JR常磐線や水郡線は運休となりました。
結局、翌日の午後4時30分に屋内避難が解除されましたので、屋内避難時間は1日と4時間という計算になります。
こうした前例があり、しかも原子力発電所事故はいくつも起こっています。
にもかかわらず、電力会社はその後も『備え』を何もしていませんでした。
地方自治体は、そもそも権限がなく、情報すらありません。
事故が起こっても、東電から国への通報はありますが、自治体への通報は最後の最後になります。
そこで私の素朴な疑問です。
『備え』をやるべきところは、いったいどこなのでしょうか?
電力会社でしょうか?自治体でしょうか?国なのでしょうか?
誰でも結構なのです。それよりも現実問題として現時点で『備え』はあるのでしょうか?
そして本当は誰が『備え』を行うのでしょうか?
(本ブログは佐藤栄佐久著「福島原発の真実」を参考にさせていただきました)

内部被ばくの割合とは

現在なお、福島第一原発の1号炉も2号炉も3号炉も核燃料棒の3分の1程度が水面から露出しています。つまり放射性物質の放出は残念ながら続いています。
そのうえで、今後の被ばく状況を見通すとなると、やはりチェルノブイリでの知見は無視できません。
当時のオーストリア政府報告によると、空中、飲料水、食物からの被ばくは、単純に3分の1ずつではなく、飲料水からの被ばくを1とすると空中からは20、食物からは80であり、やはり食べ物からの被ばくが最も高いとされています。
では、チェルノブイリのケースでセシウム検出量が多かったものは何かと言うと、乳製品、ベリー類、キノコ、ハーブなどだったそうです。
ただ、この結果で誤解を招きやすい点は、セシウム検出量が多かったとしても体内に取り込む量が多いとは限らないという事実です。
これは「コメ」と「ハーブ類」を比較すれば単純明快で、大量に摂取する主食とわずかばかり使用するハーブとではどちらが体内にとりこむセシウムが多いかという問題に帰着します。
その意味では、千葉県産「コメ」が安全宣言を出せて本当にホッとしました。
また、チェルノブイリのケースから、「乳製品にセシウム検出量が多い」と言っても、全乳を脂肪と脱脂乳に分ければ、その検出割合は20%と80%です。
たとえば、脂肪から作られるバターを考えると、全乳を100とするとそのうちバターではわずか1.2程度になってしまいます。
そのほかにもチェルノブイリのケースでは、ヨーロッパ各国とも放射能規制は「外国産には厳しく、国内産には甘い」という傾向がありましたし、「汚染レベルの高い地域ほど規制が甘く、汚染レベルの低い地域ほど規制が強い」といった傾向もあり、なかなか一筋縄ではいきません。
こうした内部被ばくは、個人ではなかなか防ぎきれるものではなく、政府はどれだけ情報公開しても公開しすぎることはありません。
千葉県も今後とも県産品の放射能測定や規制を徹底して、安全な食品流通に万全を期してまいりたいと思います。