高齢社会の決め手は「構造改革」にあらず(第155回)

私は従来型政治の典型例が「構造改革」という言葉の使い方に非常によくあらわれていると思います。
小泉さんは言いました。「構造改革を断固やり抜く!」
そして、多くの国民の皆さんが賛同し、小泉さんにエールを送りました。
さて、では私たちが賛同し熱烈なエールを送った「構造改革」とは一体何だったのでしょうか?
何の「構造」をどう「改革」することに賛同したのでしょうか?
おそらく100人の人がいれば100以上の回答があると思われます。
「構造」という現状に不満があるから「改革」を断行することには賛成だ、といった抽象的な賛同者もいたかもしれません。
ことほど左様に同床異夢を導きやすい言葉です。
たとえば、予算編成の「構造」を「改革」するとすれば、これまで多額だった公共事業を減らすことだという理解もできます。
この場合、もちろん地方の公共事業も減らされるわけですから、地方の中小規模建設土木関係企業は非常に苦しくなるでしょう。
国の借金を減らすために地方交付税を減らすことだという理解もできます。
郵政民営化のように何から何まで官がやってきた「構造」を民間へまかせるという「改革」をするという理解もできます。
小泉さんの真意は、これからの超高齢社会を乗り切るためにはお金のかかる年金、医療、高齢者福祉などの「構造」を改革して可能な限り安上がりにしよう、しかしそれでも多額の負担が必要だから高齢者を含め国民みんなに負担をしてもらおう、行政部門も少しでも小さくしてお金のかからない政府にしよう、と言う「改革」だったのだと思います。
しかし、どのような政策であれ必ず副作用はあります。
政治や行政はその政策を実現するために国民の賛同を得る必要がありますから、あえて副作用については語りません。
語らなかったとしても副作用は無くなるものではありませんので、税金や保険料の負担増やサービス給付の低下と言う形でいつかは必ず国民生活の上に出てまいります。
そのときに国民は「裏切られた」と思う。話が違うということに気づく。副作用が顕在化したときに国民は与党に対してノーを突きつけることになります。それが先の参議院選挙結果の一因だったと思います。
これからの政治の課題は負担増とサービス水準の低下とのバランスをどうとっていくかということになると思います。これはまさに国民にとっては副作用の選択です。
しかも、その副作用に耐えて国民は何を得るのかといえば、何かがプラスになるのではなく、「制度の永続性」というせいぜいマイナスにはならないというだけの話なのかも知れません。
この極めて困難な政策課題を実現する唯一の条件は国民との信頼関係の構築以外にありません。
医療政策がどう、福祉政策がどう、公共事業政策がどうとは直接関係がない、政治家に対する信頼、政党に対する信頼、行政に対する信頼を政治や行政が勝ち得ることが超高齢社会を乗り切る必要条件だと思います。
ともあれ高齢化の進展はあまりにも早いペースです。それにあわせて国民に信頼される政治を実現することは残念ながら現実的ではないように思えます。
したがって、政治が信頼を取り戻すための不断の努力を続けること、その姿を国民に見せること、これが高齢社会に対応する施策を打つための最低限の条件だと思うのです。


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