騙すべき子どもすらいない(第220回)

地球丸々ひとつの国であり、世界政府がきっちり機能していて強権を発動できるのであれば、原油など資源で利益をあげている企業に特別に税を課して原油高などで苦しんでいる産業や人々に所得移転させることはできるかも知れない。
しかし、現実にはエネルギー資源によって利益をあげている国と利益を奪われている国との間には明確なる国境線があり、それぞれが独立国であり所得移転などできない相談だ。
こういうときにわれわれが常に使ってきた手法は時間差を使った解決策である。
奪われた利益を返してもらえないのなら、将来の子孫から取り上げればよいという政策、すなわち公債発行である。
公債の償還期間もいつの間にか延びに延び、それで得た金を使う者と返すものが完全に異なってしまった。
子供だましのような手法であるが、その騙す子どもはまだ存在もしていない。
もうすでに子どもも騙せないほどの巨額な金額になっているのに。
公債発行によって苦境を逃れる、あるいは減税を受けるということは、言うまでもなく苦しみの先送りである。
苦しみの先送りは、「楽」をした者と先送りされた「苦」を受ける者が同一人物なら自然である。
ところが、そうではなく自分たちが「苦」を逃れるために、他人に「苦」を押し付けるという行為は人間としてなかなか決断できるものではない。
ましてや逃れようと思っている「苦」の原因が、それを押し付けられる者の責任でも何でもないのであればなおさらだ。
したがって、この重大な決断は相当の覚悟を持って行なう必要がある。
「苦」をおしつけられる人たちへ本当に申し訳ないという気持があって当然だ。
この覚悟や気持ちがなければ財政再建など未来永劫にできるはずがない。
たとえ奇跡が起こって財政再建なったとしても、すぐに放漫財政に戻るだけの話である。
いつの時代であれ課題はある。課題のない社会など仮想社会である。
子孫には子孫の課題が間違いなくある。
そしてその時代時代の課題解決はその時代時代の子孫が子孫の手で行なうほかない。
そのうえに、仮にも申し訳ないという気持のない先祖 から借金を押し付けられるのでは立つ瀬がない。
せめて公債発行のたびに痛みを感じる人間でありたい。