夏といえばファーブル?

8月尽にも関わらず、東漸寺の山ではアブラゼミの蝉しぐれが聞こえてきます。
私たちは夏になればセミが鳴くのは当たり前と思っていますが、たとえばヨーロッパのアルプス以北では蝉はほとんどいません。
ですから、イソップ物語の「アリとキリギリス」ももともとは「アリとセミ」であって、北ヨーロッパに伝わってからセミがキリギリスに変わったと聞いたことがあります。
私は小さいころもあまり昆虫採集をしませんでしたが、それでも夏は虫取りでしょう。そして、昆虫といえばファーブルです。
ファーブルが本格的に昆虫の観察を始めたのは33歳くらいからだそうです。そして、最初の昆虫記を書いたのがたしか56歳。私もその年が近くなってきました。
ファーブルの昆虫記は、実は単純な昆虫記ではなく、社会時評であったり政治批判であったり、そうした広範囲の分野についての意見具申の中に昆虫観察のことが書かれています。日本では、それを大杉栄らが訳しましたが、昆虫観察の部分を訳して子供向けになっているだけです。
あれほどまで徹底的に観察をしていた粘り強い実証学的科学者ですから、ファーブルが当時のフランス社会をどのように論じていたか、非常に興味があります。
そして同時に、ファーブルの眼に今の日本という国がどういう風に映るのか、ちょっと怖いようなでも聞いてみたい気がします。
「日本?ああ、まるで〇〇虫の社会に似ているね」そんな話になるのでしょうか?