オスプレイを笑えない

8月2日の南日本新聞に痛烈な囲み記事がありました。
『「空飛ぶ恥」と有力誌』という見出しで、米軍の垂直離着陸輸送機オスプレイについて『米有力紙タイムが「空飛ぶ恥」と題する記事を掲載するなど、米国内でも安全性をめぐる議論が交わされた。』と言う記事です。
私は、先の6月県議会で、オスプレイには依然として安全性に不安があることから普天間配備は反対だと表明しました。
そういう立場からすれば、タイム誌が『空飛ぶ恥』と書いたことに違和感はありません。しかし、その一方で「これはまさに他山の石であるという思いも強くしました。
それは、私たち日本の福島第一原発事故のことが真っ先に思い出されたからです。
あの福島の事故について、民間事故調査委や国会事故調査委やさまざまな団体が報告書を出していますが、事故について知れば知るほど「日本人として本当に恥ずかしい」と暗い気持ちにならざるを得ないのです。
そして、特に福島の人たちのあまりにもひどい状況をみれば、その暗い気持ちの底から熾火のような怒りが湧き上がってくるのを止めるのに必死の努力が必要です。
冷やし続けなければならない燃料棒を何故冷やすことができなかったか?何故電源が喪失したのか?
こうした主要課題にいたるまでに無数の細かな手抜き、いい加減がオンパレードで飛び出してきます。
たとえばベント。電源喪失で手動で行おうとしても、その方法が分からない、訓練したこともない。そもそもバルブの位置が分からない。緊急事態の中で、図面を取り寄せて初めて場所の確認をする。あきれ返るほかありません。
また原子炉にとって一番重要な水位計についても、他国がダメだとしてとっくの昔に更新したその古い計器をそのまま使っていた。
私たちは、一国の存亡を左右し、世界中を巻き込むほどの危険な装置の運用を、実は大ばか者集団にゆだねていたことを直視しなければなりません。そうした大ばか者にゆだねていた者もやはり大ばか者です。それを自覚すると自らに対して怒りがこみ上げてきます。
オスプレイを『空飛ぶの恥』と批判するのはたやすいことですが、私たちも今こそ本当に立ち直らねばと思うのです。


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