受け皿になリ得ていない民主党(第351回)

以前にも書いたことだが、私は政権党が汚職事件を起こしたり、政策に失敗すれば政権交代が起こることを当然のことと思っている。
民主主義国家である以上、むしろそうでなくてはおかしいと思う。
したがって、その政権の良し悪しを決めるのは基本的には「信頼」(その対極にあるのが「汚職」「受益」(その対極にあるのが「政策の失敗」ということになる。
ここで「信頼」と「受益」と並べて記したが、とくに時間的な面で性質が異なる。
「信頼」は醸成するのに長時間かかるが、一度「汚職」が発覚するとたちまち崩れる。
すなわち瞬時に内閣支持率に現れる。
ところが「政策」の方は、成功も失敗も程度の差こそあれ結果が判明するのは将来の話となる。
場合によっては、成功と失敗が判別できないことも、判別することが無意味なことすらある。
たとえば今回、民主党政権が大幅に予算をカットした学校耐震化も地震が発生しなければそのまま通り過ぎてしまう。
しかし、万一地震による被害が出れば民主党政権は大打撃を受けるだろう。民主党が打撃を受けても仕方がないが犠牲者はたまらない。
また、たとえば松戸市は全国に先駆けて土地区画整理事業を推進して良好な街並みを整えてきた。
しかし、その結果として現在は大型施設を誘致するスペースがなく、商業や文化面では柏市や三郷市の後塵をはいしている。
このように時間を加味すると政策の良否はなかなか判別できない。
さて、現政権の「信頼」と「政策」はどうだろうか?
鳩山総理の公設第一秘書が政治資金収支報告書に約2億円の虚実記載をした。
その一方で総理の母親が2002年から2009年にかけて約13億円の政治献金をしていたのに報告書に記載をしなかった。
これらのことにより、この秘書も政策秘書も起訴されることになったが、総理ご自身は「私は知らなかった。」という主張を繰り返している。
結果として、総理は嫌疑不十分で不起訴処分となった。
小沢幹事長についてもまるで同じパターンである。
秘書や元秘書の現職国会議員が政治資金規正法違反で検挙されたものの、「私は知らない」として小沢氏は嫌疑不十分で起訴は免れた。
お二人とも説明責任を果たしていないのだから、これで信頼せよと言うほうが無理である。
一方の政策の方はどうか?
そもそも連立政権では政策に整合性を求めるのは非常に難しい。
子ども手当ての地方負担も高速道路の無料化の縮小もガソリン暫定税率の存続もマニフェスト違反であり、普天間基地の移転や原子力政策の齟齬でも政権内は混乱を極めている。
いかに政策には時間差が生じるとは言え、国民もどうもうまくいっていないとの結論を得つつあるように思える。
はたして2月末の日経新聞の世論調査では鳩山内閣の政策が悪いとする人は34%に達し、政策が良いと答えた人を6ポイント上回った。
やはり結局、民主党も政権の受け皿になり得ていないとの結論になってしまう。


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