信古代日本の道路事情(第182回)

古代交通研究の第一者である木下良先生のお話を伺った。
すくなくとも大宝律令、養老律令の時代すなわち紀元700年前後には、すでにわが国では相当程度の道路整備が進んでいたと言うのである。
「都と各地の国府を結んで、直線路線をとる計画的大道(幅9?12メートル)の駅路が敷設され、30里を基準に一般集落とは別に計画的に駅屋を設置し、中中戸の駅戸を揃えて一駅戸から駅子5?6人を出した。駅馬は緊急連絡の馳駅のほか、公文書の逓送など主として通信連絡に用いられたが、遠国の朝集使など一部官使の乗用にも使われた。(駅制)」
何より驚くのは、都と国府、国府と国府の間に駅を定め、それらが最短距離の一直線の道路で計画的に結ばれていたということ。
その道路は、9メートルから12メートルというかなりの幅員で、30里(約16キロメートル)ごとに駅屋が設置されていたということ。
そして、駅子に5、6人の人員を出し、馬を用意し、宿泊や食料の用意をし、となれば、古代から道路というのものは国の成り立ちにきわめて重要な役割をはたしてきたことがわかる。
当たり前と言えば当たり前のことではあるが、道路計画の重要性もまた今も昔も変わらないようである。


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