東北地方太平洋沖地震」カテゴリーアーカイブ

地上の盛土、地中の盛土

今朝の読売新聞一面トップ記事は『震災液状化9700地点』という初の全国調査結果でした。それによれば、全体の9割以上が関東地方で発生していました。
茨城大学名誉教授の楡井久先生の受け売りですが、1987年の千葉県東方沖地震で神崎町小松飛び地で馬蹄型の噴砂孔配列が見られたと言います。
また、1993年の北海道南西沖地震の際、長万部町中の沢小学校で地波現象が見られたと言います。
前者は、砂の採取地だったのを残土処分埋立地にした場所で埋立地の形状が馬蹄型でした。
後者は、砂鉄採取場だった場所で、その埋立地の形態によって地波現象の形態が支配されていました。
このことから、東日本大震災による東京湾岸や我孫子市布施などでの液状化現象が、埋め立て以前の土地形状に依存していることが推察されます。
すると、盛土が地震によって大きな被害を受けるのと同様に、埋め立てという、言わば地中における盛土も地震に脆弱なのだという仮説が成り立ちます。
現在、千葉西高校でボーリングが行われるなど分析が進められていますが、液状化メカニズムの謎が一つでも多く解明されるよう期待するものです。

自分のことは棚に上げがち

今日の毎日新聞に、千葉市美浜区の磯部63自治会の液状化対策が報じられていました。
地下水を抜いて液状化しにくくする「地下水位低下工法」が有効かつ経済的だという中間報告がなされたとのことです。問題は、やはり地盤沈下です。
地下水をどんどん汲み上げた結果、東京湾岸のいたるところでひどい地盤沈下が起こりました。そこで、地下水の利用を制限したのですが、今度は地下水位が上がり液状化の危険性が増すばかりです。
どの工法が、どの程度のどういう地震に有効なのか、まさに研究はスタートしたばかりです。
間違いなくいえることは、「地下水位が上がれば液状化の危険性が増す」「盛り土は地震に弱い」ということです。
これらは自明なのですが、だからと言ってそういうことを考えて家を買ってはいません。また、自分は備えをしているのかというと実はそうでもありません。
私自身、二階に倒れそうな巨大な鉄製本棚が二つもあります。3・11の際に見事に倒れた一階の本棚には器具を取り付けましたが、その隣の茶ダンスは手つかずです。
記事を読んでも、磯部に住んでいないと他人事に見えますが、実は他人事ではなく自分のことと受け止めないと減災などできるはずがありません。

液状化調査始まる

本日12月24日から千葉県環境研究センター地質環境研究室による液状化・流動化被害調査が始まりました。
県立千葉西高校の敷地内で矢板状のものを打ち込み、地層をそのまま抜き取る調査です。
写真は、矢板抜き取り方式のものではありませんが、液状化により亀裂が走った部分を掘り抜いたところです。
地盤被害の解明が進むことを期待しています。

石油連盟との協定締結

昨日・12月5日の千葉日報に嬉しい記事がありました。『災害時の供給体制強化へ 石油連盟と県が覚書』というものです。
東日本大震災の時にほとんどの方がガソリン不足に悩まされたと思います。
それだけではなく、パトカーや救急車など緊急自動車も大変な状況でした。
そこで、2011年6月議会(6月22日)で石油連盟や千葉県石油商業組合と災害時の協定を結ぶよう訴えたのです。
ガソリンスタンドの組合である商業組合と協定締結ができたのはその年の12月13日でしたが、石油精製者側の石油連盟とはなかなか締結できませんでした。当時の石渡副知事からも「難航している」と告げられていました。
すでに石渡副知事は退任されてしまいましたが、このたびの締結に関わって下さった皆様と連盟の方々に深く感謝いたします。
これでまた県民の皆様の安心を一歩進めることができました。

井戸沢断層を歩く

産総研の方々、いわき市田人在住の方々と井戸沢断層を歩きました。
断層は、概ね西側が沈下しています。一方、この地域の河川は沈下した西側が上流部なのです。
したがって、相対的に高くなった下流側の断層で河川の流れが遮られ、池状になります。
水は、この池で滞留した後に東側に流れ出ますので、東側は普通の河道、西側は池状の平らな地形となります。
宅地も含め道路や水田は、すでに復旧されていて断層活動の片りんも見つけるのが困難なのですが、山地に入るとこうした池状地形が断層とともに散見されました。また、従来は断層だと思われていなかった塩ノ平から北側も綱木地区まで動きましたので、井戸沢断層の長さが見直されました。
塩ノ平南地区の2.2メートルが最大変位でしたが、そこが林道であったことは不幸中の幸いでした。
*写真では、西側の沈下によって河川がせき止められてできた池が見えます。